東巻 ぬるく18禁

ルリボシカミキリになれなかった

 綺麗な生き物は哀れだ。

 肉付きの薄い唇から焦げたような熱い吐息が頬を掠める。
 東堂は生まれてこの方、可愛らしいお子さんねぇ……と頭を撫でられることも、格好いいです! 素敵です! と黄色い声で賞賛されることにも慣れっこだった。自分で自分自身を美形だ男前だとよく口にするが、周囲から自信満々な言動に溜め息は吐かれても否定されたことはない。つまりは自他共に認める美形な男伊達ということだ。
 東堂は自分が万人に好かれやすい美形だと自覚している。十人に問えば十人それぞれの好みがあったとしても、客観的に造作のよい顔である事実を認めるだろう。
 反対に十人中九人が否を唱えても、残った一人だけに強烈に支持される美のかたちもある。いま東堂の肌を熱い吐息で焦がした生き物がそうだ。
 その生き物は東堂の腹の上でぐらぐらと揺れていた。仰向けになった藤堂の腹を細い腰が跨ぎ、下から熱い剛直に串刺しにされて肌をふるわせている。
 薄く、細く、長い、身体。
 長い手足を持て余した肉体は確かに痩せていたが、骨格標本に皮膚を張りつけただけのような痩せ方ではない。鍛えられた良質の筋肉に覆われていても、その生き物の身体つきは細く寂しいままだった。
 ゆら……と、緑髪の先が薄闇に溶けた。暗がりと闇の曖昧な境目に髪はうねり消えていく。まるで網から逃げる虫の羽のように思え、東堂はその幻視さえ不快に感じる自分に気づいていた。
 逃れてはだめだ。自分の手の中から、逃げてはいけないのだ。
 綺麗な生き物はいずれかの手に捕らえられ、美しいまま屍を晒してしまうのだから。
 ならば捕らえるのは自分でなければ。
 そっと手を伸ばした。むろん仰臥した格好では髪に指先が辿り着かず、代わりに切り揃えられた爪が掴んだのは内腿の白い皮膚だった。
「……ん……ッ」
 後ろへ逃げていた髪が、内腿に与えられた刺激のせいでわずかに手前へ戻る。喘ぎながら快楽に反らされていた下顎が、わずかな痛みに自然と前へ落ちたからだ。
 緑髪の狭間から涙含みの瞳が東堂を窺ってきた。肉欲と劣情、そして相反するはずの理性がその双眸にはあった。
 脊髄が痺れた。
 腰はもちろん、その中央でそそり勃った部分も同じように痺れて脈打ち出す。
 やわらかな粘膜にくるまれた自分自身が一回り大きくなった気がした。
「……ゥ……」
 端整だ、綺麗だと言われ続けてきた東堂の顔の横に手を着き、情欲の汗でぬれた身体ふるわせながら、可哀そうな生き物は短く呼吸を整えている。昆虫標本を裏側からみたような格好のまま、肉欲に溺れて我を失うこともなく、快楽と苦痛に綯い交ぜになった表情で東堂を窺い続けていた。
 東堂の下腹に跨り、熱い肉の杭に穿たれた姿は哀れで、同時にそんな彼に自分が愛されている実感がして大好きだ。
 本来は快楽に弱い痩身は、熱と劣情に翻弄されて乱れる姿が常だった。東堂に背後から穿たれ、あるいは東堂の腹の下に敷かれていたなら特にそれは顕著だ。
 快楽に弱いくせに東堂の身体に跨り、自ら腰を揺らめかせる体勢だけは違っている。欲情した肉体は決して快楽だけを貪りも耽溺もせず、自らを戒めて我を忘れないように律している。本当なら肉体の喜びを素直に開放するほうが楽だろう。どんなに淫靡であってもその姿を藤堂は嫌ったりしない。もっともっと乱れて肉欲を貪られても構わないくらいだ。
 けれど東堂の腰を跨いだときだけは別だった。
 自重や激しい動きで東堂の身体を、特に山神の足を痛めないか、そちらにばかり気を取られるようで己の欲は二の次となる。それはいかに東堂が大切に思われているか、若い発情さえねじ伏せる意志が物語っていた。
 だがその姿が、心根が、想いが、とてもとても綺麗で哀れなのだ。
 綺麗な生き物は押し並べて可哀そうだ。
 耳飾りや首飾りのために阿古屋貝から取り出された真珠。
 魅了する毛並みを持つがゆえに皮を剥がれた狐や貂。
 土に還ることも許されず切り落とされて活けられた花々。
 そして短い痙攣にあわせて揺れる髪と同じ色を持つ玉虫も。
 死んでも美しい羽を持つから、厨子や宮殿の壁に貼られてしまうのだ。
「……巻、ちゃん……髪、触りたい」
 ぬれた肌の上に葉脈じみて張り付いた緑の筋に触れたかった。そのためには東堂が身を起こすか、あるいは東堂の腹上で短く痙攣する身体を折ってくれるか、そのどちらかしかなかった。藤堂が自分で起き上がる気はさらさらない。向こうもそれは分かっている。肉欲に追われた身体を折るのはおそらく苦痛すら感じるだろう。
 それでも東堂の方へ来て欲しかった。
「……しょう、が、ねェ……」
 玉を結んだ汗が尖った下顎を伝い、東堂の胸に落ちた。その一滴にたまらなく下肢がふるえる。
 東堂のふるえが伝播したのか、過敏な粘膜を擦られて細い腰が捩れたが、それでもシーツに着いた膝で己の動きを制限してくれた。ああ、やはり自分が大事なのだなと、子供が母親に抱っこをねだる格好で両手を広げ、無邪気さと残酷さで相手が落ちてくるのを待つ。
 腹の上でせわしない呼吸が聞こえる。下唇を噛み、東堂を最優先しながらも自分自身の苦痛も軽減するように、じりじりと白い痩躯が沈んできた。汗の玉が散る下顎、急いた呼吸で膨らむ胸と下肢のように勃起したちいさな肉の粒、東堂を飲み込んで痙攣する腹と、その腹を打つように勃ち上がった紅色の先端。
 近づいてくる。
 綺麗で、可哀そうな、色と形でつくられた生き物が。
 苦痛と快楽に降参して下げた頭から、湿りを帯びた玉虫色の髪が東堂の前に垂れ下がってきた。
「巻ちゃん、の、髪……、……好きだ……」
 垂れた髪を余裕もなく握り、熱くうねる粘膜にくるまれた下肢は退っ引きならない状態なのに、それでも声を振り絞る。
「……か、み、……だけか?」
 情欲と理性、肉欲と懸念が入り混じっていた目に、初めて拗ねたような色が混ざったのが妙に嬉しい。
「髪も、顔も、身体も、ココもだ、ま、き、ちゃん……」
「う、ッあァっ……」
 びくんと痩せた身体が跳ねた。だが左手で掴んだ緑の髪は離さない。髪を引かれる痛みと、下肢の痛みと、東堂の身体を損じなかったという恐れへの痛みと、どれがいちばん彼にとって辛かったのか。
 可哀そうに長い睫にふくまれた涙の量は限界で、今にもあふれて滴り落ちそうだった。
 涙より先に滴り落ちたのは、下肢の奥でふくらみきっていた肉芯の先走りだ。東堂に掴まれ、扱かれたそれは初々しい割れ目からだくだくと精液まじりの先走りを滴らせていた。
「だ、め……だ……ッ」
 髪を掴まれた痛みも気にならないのか、玉虫の群生がいっせいに飛び立つさまに似た様子で緑の髪が左右に振られた。
 なにがダメなのか、東堂は知っている。東堂の手で扱かれて、快楽に我を忘れることが怖いのだ。こんな状態になってさえ、彼は自分の体重のすべてを東堂に預けていなかった。顔の脇に着いた手と、シーツに食い込ませた膝に体重を分散させ、すこしでも東堂の負担を経験しようと健気に堪えている。
 もし我を忘れて東堂の肉体を損なったら……、彼は極端にそれを恐れ続けていた。
「ダメじゃ、ない」
 濡れそぼった快楽の竿を根元から先端まで扱き上げながら、半ばうっとりとした表情で囁いた。
 反対に乱れた髪から覗く白い顔は苛められた子供みたいに泣きそうだ。哀れで憐憫を誘う表情。
 綺麗な生き物は、否、綺麗なものは本当に可哀そうだ。
 普遍的に綺麗なものは広く知れ渡り受け入れられる。その美は世界に有って当然のものなのだろう。
 反対に普遍的でない綺麗なものは狭く、深い場所で執着され、ときに自分では見出せなかった価値を他人から押し付けられてしまう。
 阿古屋貝の中でそっと潜んでいた真珠は取り出されて飾られ、ときに美と財力の象徴として溶かして愛飲された。
 生きるために必要だった狐や貂の毛皮は剥がされ、防寒の目的だけではなく、美しく珍しい毛並みが珍重された。
 土に咲き、土に還るはずだった花々は水に活けられるだけなく、日に干され干乾びた姿を晒して芳香まで搾取された。
 綺麗な生き物は可哀そうだ。
 屍さえも晒され、奪われるのだから。
 快楽と苦痛に責められて踊る髪と同じ色の虫だってそうだ。
 瑠璃色の美しい羽を持つルリボシカミキリのように、屍となればその輝き急速に失う羽であればよかったのに。生前の輝きを再現できず赤褐色の屍となるルリボシカミキリ。
 翠のタマムシは屍となってもその美しさと輝きを失わないから、厨子に貼られ、宮殿の壁や天井を覆い尽くさねばならなかった。
 普遍的でないものの美は、ときに人に嫌われることを東堂は知っていた。毛皮を厭う動物愛護家は多いし、蝶の羽であっても怖がる人も多い。強烈に厭われる部分があるからこそ、それ以上の引力でことさら好かれる部分もあるのだ。
 手の動きを早める。この綺麗な生き物の妙を誰も知らなくていい。むしろ誰一人気づいて欲しくなかった。
 常なら皮肉の形で歪められた唇をだらしなく開き、びくびくとふるえる舌を見せ付けながら、「ダメ」の言葉と唾液をこぼして堪える姿は自分だけのものだ。世界中の誰一人、この生き物の価値を知る必要などなかった。
「……ホントに、ダメ、かい? ……巻ちゃん?」
 宥める東堂の声にがくがくと顔が振られる。
「そっか」
 でも、と、東堂は言葉を続けた。
「オレは、ダメじゃ、ない……な」
「あ、……ッ、あァ……っ」
 手の中の熱を破裂させるためさらに強く扱いた。東堂を飲み込んだ奥の蠕動のうねりと激しさが、快楽の限界を知らしめてくる。白い内側の腿がふるえていた。薄い腹が上下する。引き攣れた腰の動き。それらが一気に可哀そうな生き物を襲い、嗚咽に似た喘ぎを混ぜながら破裂へと導いていく。
 なまぬるい体液の片方は痩せた肉体の粘膜の内側へ、もう片方は東堂の飴色の肌の上と飛び散る。あ、あ、と、呆けた声が射精の余韻とともに鼓膜へ届く。そんな艶かしい声で呆けながらも、両腕と膝は突っ張ったまま堪えていたのはいじらしい限りだった。
 だがその姿も本当に限界だろう。腕も腿びくびくと攣れて動きが定まらなくなっていた。
 あんなに東堂を傷つけないように頑張っていたのに、射精で力の栓が抜けた肉体はずるずると東堂に落ちてくる。堪えきれず東堂の胸や腹に散った精液は二人の皮膚の間で潰された。まるで肌と肌を張り合わせるための糊みたいだ。
 痙攣し続ける背中をやさしく叩き、乱れた髪を手櫛で梳きながら自分の方へと緑の束を近づける。
 綺麗な色だ。綺麗な身体だ。綺麗な心だ。
 皆はこの綺麗な生き物の価値を、毛皮や虫の羽の屍と同じで薄気味悪いと誤解しておけばいい。
 綺麗だと言われることにも、端整だと言われることにもずっと慣れて当たり前だった東堂。
 腕の中で痙攣し続けるこの生き物は、東堂は生まれて初めて自分以外に「綺麗だ」と認めたのだから、これはもう東堂だけのものなのだ。



                                   終