東巻 ぬるく18禁
鍵とカーテンと獣と
ふ、ふ、と、薄い唇からこぼれる呼気は、熱さと湿りばかり際立つ。
頬に触れる呼気は熱かった。唇を掠める呼気も湿っていた。常ならそこは憎まれ口を生み出す場所だ。百歩譲って素直じゃない言葉を吐く所だ。それなのに扉の鍵を掛けてカーテンを閉めれば、素直な呼気を漏らす背徳の唇に変貌する。
東堂はこの変貌が好きだった。
可愛い女の子がベッドの上でちょっとエッチになるくらいなら、東堂でなくとも世の男の子は大歓迎に違いない。だが女の子が肉食系ばりに予想を大幅に上回る姿を見せられては、大歓迎する男の子よりもげんなりと引いてしまう男の子の方が増えるかもしれない。
暴走しがちな十代の男の子でも、意外と繊細で難しいのだから。
だがこの場合はどうなんだろうな?
頬と唇を掠める呼気に臍の奥を疼かせながら東堂が考えた。
楚々とした女の子ではなく、ひねくれていて意地悪で、なかなか素直に好意を示してくれない、自分と同じ男の子ならば。
熱で潤みかけた双眸に映っているのは、やわらかな乳房ではなかった。網膜を焼くのは細い骨組みに薄い鋼を巻きつけたような鍛えられた男の痩躯だ。
白い肌に刷かれる劣情の汗。肌の下で練られた筋肉は、今は山頂ゴールへ最初に飛び込む喜びを求めていなかった。肌も肉も骨も、ただ快楽を、情愛を、もっと寄越せ渡せと訴えるばかりだ。神経など通っていないはずの玉虫色の髪ですら快楽を貪って乱れている。
そしてその乱れた玉虫色の髪こそが緊要な事柄だった。
玉虫色の長い髪。こんな髪を持つ男子高校生など、日本中を詳密に探したところで千葉の房総半島でしか探し当てられないだろう。その上、髪を振り乱す姿となれば、これはもう鍵と分厚いカーテンのある場所でしか発見できない。
東堂が探し当て、捕獲した、一匹の獣。
山での勝負以外はすべてにおいて恬淡であるはずの巻島だった。
巻島裕介。その名前は学生クライマーの中で知る者は多いし、母校の総北ならず、東堂の在籍する箱根学園の中ですら名前は知られている。
彼らに巻島裕介という人間を問えば、概ね返事は決まっていた。
山頂の蜘蛛男。玉虫色の髪。奇抜なフォーム。薄気味悪い登り ―― 学生クライマーならこんなところだろう。箱根学園の自転車競技部に目を向ければ、東堂が執着しているヤツとこの一言が加算されるか、総北を目の敵にしている荒北の「うぜェ」がオマケとして一言つく。
付き合いの深い総北の連中なら意外と情があるとかやさしいとか、内面の良さを先に言ってくるかもしれない。
けれど東堂は鍵とカーテンの内側の本性を知っている。内側だけに露見するもうひとつの姿。
―― 巻ちゃんは、エロいよな ―― だった。
これが楚々とした女の子の変貌なら、フェミニストである東堂でも冷めてしまう可能性があった。多少のエッチ具合ならたいへん宜しい。だが女の子のぎらぎらした多大なエロスは、東堂的にたいへん宜しくない事象だ。正直に言ってしまえば、あまりに激しい肉食ぶりは萎えてしまうくらいだった。
それなのに、だ。
相手が巻島だと萎えるどころか異様に興奮してしまう自分が居る。もちろんこれは女子ではない巻島の性別が理由ではなかった。
意外と矜持高い巻島はたやすく他人を受け入れる真似を嫌がり、他人を拒否しても自分のテリトリーを死守したがる男だ。誰も近づけない代わりに近寄らない、そんな遺伝子でも組み込んでいるのかと尋ねたいくらいの偏屈だ。
でも東堂相手なら違う。鍵とカーテンがあれば東堂だけには違っていた。
内側からしっかりと閉ざした扉。窓を覆って隠す分厚いカーテン。それらに守られた内側なら別の生き物のように変貌してしまうなど、箱根学園はおろか総北の連中でもしらないはずだ。
自分だけが知っている巻島。 正確には固い殻を破って薄膜も丁寧に取り除いて、その中で見つけた核たる部分の一つこそが、先ほどから熱さと湿りを生み出す姿だった。
「……巻ちゃん……」
閉じることを忘れた唇に指を伸ばす。唾液でてらてらと光る薄い唇は、親指の腹で擦っただけでぱちんと弾けそうなほど艶かしい血が巡って赤かった。
そっと親指を唇に割り込ませると、唇の裏の粘膜はさらに脆弱で下肢の熱をそそられる。普段とは大違いな姿に下肢の熱が凝って仕方ない。
皮肉を紡ぐ唇が、ハンドルを掴む指が、ペダルを蹴る足が、車体をゆらす身体が、外と内では大違いだ。
喘ぎを紡ぐ唇が、東堂の肌を掴む指が、シーツを蹴る足が、快楽でゆらす身体が、内と外では大違いだ。
誰がこんな巻島を知っている ―― ?
山にかける勝利への執念以外、見た目からして巻島は草食系と言われるタイプだった。恋愛に淡白というよりも面倒臭がるタイプではあったが、恋愛以外でも物に執着を見せることは少ない。巻島が執着し、牙を剥き出しにしてまで欲しがるものは山と自転車に関する内容だ。
当然だがその中には山神自身も勘定されている。
執着されることが単純に嬉しい。執着されればこちらも拘泥し、拘泥が極まれば更なる執着を呼ぶ。
もうどちらが先に執着したのかさえも分からなくなっていた。
ただ言えるのは山で見せるケモノのような執着も、鍵とカーテンの内側で見せるケダモノのような恋着も、ぜんぶ、ぜんぶ東堂のものだ。
淡白な表情を蕩かせ、ひねくれた唇から湿った呼気と喘ぎを産みながら、いまも巻島はぶるぶると東堂の腹の上でふるえている。
「辛いかい、巻ちゃん?」
辛いだろう。そんなことは見れば分かる。東堂の腹の上に跨り、長い腕を窮屈そうに畳んでふるえる姿を見れば一目瞭然だった。下肢を覆うちいさな布地は限界までふくらみ、呼気以上に湿って生地を重たくさせている。
触って欲しい? ―― 当たり前の言葉に対する反応は鈍かった。ほんの数分前なら涙目でも睨むだけの余裕があったのに、今はそれすら失われて巻島の理性はぼろぼろだ。
彼の変貌をずっと眺めていたかったが、巻島はもちろん、自分自身もそろそろ限界の呼び声を聞いた状態では、ずっとこのままで居るわけにもいかない。東堂は引き締まった腹に跨った白い下肢に手を伸ばした。
「……ふ……ッ」
熱く湿っていた巻島の呼気が唇の中に引き戻された。自分で自分の腕を抱き、上体を反らした動きにつられて緑の髪が淫靡な弧を描く。
「……巻ちゃん、びしょびしょ」
ちいさな生地は期待と興奮のためか、更にしとどに濡れてしまったようだ。生地の上から形が分かるほどにふくらんだ部分を指で辿ると、東堂の腰を挟み込んでいた内腿の痙攣が大きくなった。
「巻ちゃん、もう、脱いだ方が、楽じゃないかね?」
平静を装う自分の声が吃音になっていて笑えた。自分だって腹の上で艶かしくうねる白い生き物を見て触れて、興奮しないわけがないのだ。
だってここは鍵を掛けてカーテンを閉じた、理性の殻を破って本能が孵化していい場所なのに我慢するなんてバカらしい。
「脱いで? 脱ぐとこ、見せ、て?」
普段なら「しょうがねェな」と余裕を見せる顔は熱で崩れ、ゼンマイ仕掛けの人形より鈍い動きで腰に指が届く。半ば朦朧としたまま、巻島の指が腰骨の辺りで結ばれていた細い紐を解いた。前と後ろを繋いでいた片方が解かれ、結ばれていた紐が息絶えた蛇がように巻島の腿へと落ちいく。
「……巻ちゃん……やらしー、な……」
ふ、ふ、と巻島の呼吸が東堂の言葉で荒くなる。
巻島の腰は露わになるはずだった。だが片側だけ紐が落ちれば剥がれるはずの小さな生地は、巻島の狭い三角地帯から離れようとしない。淫らがましい体液によって肌と生地は密着し、昂ぶった先端に押し上げられた生地はいまだ巻島の先端に残っていた。
巻島が動く前に東堂の指が動き、もう片方の紐をするりと解く。あ、と、巻島の艶含みの声は、解けた紐の摩擦音に重なって消えていった。
音も声も消えた。だが繋いでいた両方の紐が落ちても、ちいさな生地は落ちないままだ。そそり立った先端に布地が引っかかり、限界まで繊維の隙間に己の体液を含ませ続けている。
「……まだ、やらしい」
上擦った声で東堂がしっとりと汗ばんだ腿を撫でた。ぶるっと大きく身体は痙攣したが、やはり生地と先端の間に先走りの体液を増やすのみで剥がれる気配もない。
垂れ下がっていた両方の紐を纏めて掴む。巻島がなにかを言う隙も与えず、東堂はそのまま一気にそれを引き抜いた。
声にならない、ケダモノの咆哮にすら似た呻き。
過敏な先端を上質の生地が擦り、その刺激に挫けて先端はどろりと白い精液を吐き出す。初々しい割れ目は急激な刺激に赤く熟れたまま、二度、三度と粘液状の快楽を吐き出し続けた。
精液に混じって身体を支える力も失い、巻島が東堂の方へ倒れ込んできた。
―― ああ、今日も巻ちゃんはやらしいな。うっとり呟いた言葉は巻島に届いただろうか。まあ届かなくても問題ないが。
もっと見せて欲しい。
もっとやって欲しい。
誰にも言わないし、誰にも見せないから。
ケダモノを隠す、そのための鍵とカーテンなのだ。
終