ハロウィン企画ログ 東巻

ハッピーハロウィン 3

 十一月も間近な十月最後の週末。
 東堂は巻島の姿を待って駅にいる。
 巻島と会うのに、自転車を伴わない待ち合わせなどほとんど初めての経験だ。輪行袋の重みがない肩はずいぶん軽くて頼りない。むしろあまりに軽すぎて身の置き所がないのが実情だった。
 自転車がない理由は巻島の愛車が運悪くメンテナンス中だとかで、山どころから平地すら走れないらしい。巻島との勝負をこよなく愛する藤堂は、本来ならじゃあ次の週に……と残念がるところだが、自転車がなくても話がある! 大事な話だ! そう言いきって強引に約束を取り付けたのは数日前の話だった。
 にんまりと東堂は唇をゆがめる。だって今日を逃せば来週の週末は十一月。十一月になってからでは遅いのだ。
 明らかに人待ち顔の少年は、群集の中にあの珍しい髪がないかと探していた。玉虫の輝きはほどなくして見つかる。大きな双眸はすぐに緑色という、人類にはありえない色の髪を見つけ出して歓喜した。
 向こうもすぐに東堂を見つけたのか確実に目が合う。さすがは美形なオレ。いつでもどこでも目立つオレってすげぇな。
 こんなときでも自画自賛は忘れない東堂尽八。
「よォ…お前が先ってめずらし……」
「巻ちゃん巻ちゃん、Trick or Treat! お菓子くれなきゃイタズ……」
 互いに最後まで言葉を発すことができなかった。巻島は満面の笑みに遮られて、東堂はおでこにぺちりとした衝撃を感じたせいで二人とも言葉は切られてしまう。
「……巻ちゃん……」
「おめェの考えはお見通しだ、バァカ」
 秀でた額を襲った軽い衝撃。おそるおそる顔をあげて摘めば、ジャック・オー・ランタンを模った棒つきキャンディーが、彼の秀でた額をぺちぺちと叩いていた。……お菓子をもらってしまった……。
 やられた。失敗だった。水飴ほど練ってもいない本日のハロウィン大作戦だったが、巻島の方が一枚上手だったのだ。
 ハロウィン大作戦は、相談を持ちかけられた荒北と新開の弁によれば穴が空きすぎで意味のない失策だと、そんな酷評をふんだんに頂いた作戦だった。
 ちなみに東堂のハロウィン大作戦の概要はこうだ。
 キスとお触りまでは許してくれる恋人に、最後の一線を越えさせる踏ん切りはなにか。そうだイベントを利用しよう。ハロウィンの「Trick or Treat」―― お菓子くれなきゃイタズラするぞ。うん、これだ。お菓子を持ち歩く男子高校生は少ないし、巻島もきっと持っていないだろう。いいや持っていないと信じて決行。お菓子をくれなかった巻島に心行くまでイタズラを……荒北が超弩級の溜息をつき新開が眉間を押さえた、運と希望的観測任せの作戦だったのだ。
 それなのに巻島はキャンディーを持っていた。これはあんまりではないか。
「巻ちゃん……ひどいぞ……」
 ジャック・オー・ランタンのキャンディーを袋の上から齧り、いじいじと拗ねた瞳で阿るが巻島には通じない。
「ほら、行くっショ。事故だとかでJRが混んでるっショ」
 ほっそりした身体を翻しホームへ向かう巻島。ああ、今日こそはあの細い身体を丹念にイタズラできると思っていたのに。
 しょんぼりした足取りの東堂は知らなかった。福富から金城経由で、なぜか巻島に荒北から伝言があったことを。
 曰く、「もし週末に東堂に会うなら、お菓子用意したほうがいいんじゃナァい?」と。

 味方だと信じていた相手が実は敵だった、そんな話はどこにでも転がっている。

 

 事故があったせいか列車の中は確かに混んでいた。乗り換えの乗客もいるとかで、まるで朝の通勤ラッシュ並みの混雑だった。
 誰しもそうだが、ぎゅうぎゅう詰めの列車内など不快で不快でたまらない。密着する他人の質感や体温がどうしようもなく不愉快だ。ハロウィン大作戦が失敗した失意の東堂も同じである。
 せめてもの救いは、東堂の正面で密着している相手が巻島だということか。
 列車が揺れる。巻島の肩口にぶつかって咄嗟に「ごめん」と言葉が出た。だが巻島も不意の密着にどうしていいのか分からないのか、照れたように「構わねぇよ」と言ってしまい、思わず東堂のイタズラ心に火が点いてしまった。
 自分が間違っていたと東堂は悔やんだ。イタズラを宣言して行うなど愚挙ではないか。イタズラはこっそりバレないようにやるからイタズラなのだ、と。
 自らの過ちに気づき、東堂は押し競饅頭の圧迫にもめげず、なんとか狭い場所で手を伸ばす。指先が辿り着いたのは、厚みの少ない巻島の尻だった。
 触って撫でて愛を伝える。ただの痴漢行為と言われてしまえばソレまでだが。
 数秒後におそろしい形相で巻島が東堂を睨んだが、これは想定の範囲内だ。どうしたの? なにかあったの? そんな子供みたいな無垢な表情で巻島を見る。
 むろん、お触りハンドはそのまま魅惑のヒップに待機中だ。
 巻島は胡散臭そうに東堂を見ていたが、痴漢冤罪でへたに東堂を傷つけたくないと思ったのか、「いや……」と呟いて顔を逸らしてしまう。もちろんこれは冤罪ではなく、れっきとした痴漢行為の現行犯だ。それでも確証のもてない巻島は黙り込んでしまった。
 東堂尽八。がぜん、張り切る。
 尻を撫でさすり、たまに掴み、ズボンの上から谷間を探り……。
「……巻ちゃん……」
 東堂のふるえる声に訝しそうに巻島は振り返った。
 真っ青な顔と涙目になった東堂。常に前を向くはずの視線は定まる場所が分からず、小動物のように全身を強張らせてふるえる姿に、巻島の目が眇められた。
 ほんのイタズラ心だった。軽い痴漢行為をつれない巻島に仕掛けたイタズラだったのだ。
 まさかその罰が、見知らぬ中年男にがっつりと痴漢をされて自分自身に返って来るとは。
「ごめん、巻ちゃん……ほんと、ごめん……」
 全身に鳥肌が立った。こんな気持ち悪いことを巻島にしていたなんて、自分はなんて罪深いんだ。嫌なヤツだ、オレは。東堂は心から自分の過ちを猛省する。
 泣きそうな東堂を眺めていた巻島が、すし詰めになった車内でむりやり体を捻って東堂に向き直った。

 次の瞬間。

 ぽきりと、枯れ枝を折るような音を東堂は聞く。同時に耳元で中年男の絶叫が響いた。車内中の人間が悲鳴を上げ続ける男を何事かと眺めていた。平然としていたのは巻島と、尻の襲撃が去って一息ついた東堂だけだ。
「降りるっショ、東堂」
 一分後、呻き続ける中年男を尻目に巻島が東堂の手を引いてホームへと降りた。そこは目的地とは違うホームだった。
「え? 巻ちゃん?」
 詰まれた手首は万力で締め上げられたように痛い。ほっそりした体型と寂しげな表情で騙されがちだが、巻島は登坂で車体を揺らしながらもコントロールできる膂力の持ち主なのだ。生半な男子高校生よりずっと力が強かった。しかも裕福な家に生まれたせいか、いざというときのために護身術もばっちりだそうだ。
 鼓膜の裏側に蘇る、枯れ枝を折ったような音。
「ま、巻ちゃん? さっきのアレさ……」
「ああん?」
「……いえ、ナンデモないデス……」
 子供が見たら素で泣きそうな声と形相に、巻島のすべてを愛する東堂でも半泣きだ。ぽきりと響いた音。あの音はなかったことにしよう、そうしよう。そして話題を変えなくては。
「あ、あのさ、巻ちゃん……ドコに行くのかね?」
 目的地とは違う場所なのに、巻島の足取りはなぜか確信に満ちていた。
「ホテル」
「……はい?」
「だから、ホテル」
「……あのう巻ちゃん様……それはどういう……?」
 全身から漂う怒気のオーラにびくつきながらも東堂は尋ねた。気分は猛獣の口に頭を入れたお笑い芸人だ。
「おめぇ、触らせたろ? 尻?」
 ええ、触られたし、巻ちゃん様のお尻も撫でてました。プレッシャーのあまり、巻島への呼び名がへんてこりんになってしまったが気づかない。
「納得いかねぇっショ」
「はい?」
「納得いかねえんだヨ! おめえがオレにやんのはいい。百歩譲って、オレがおめえにやるのも許容範囲だ。だが他人がやんのはダメっショ」
 てっきり怒気だけだと思っていたプレッシャーの成分には、半分くらい嫉妬も含まれていたようだ。凄まじい嫉妬の嵐がぐいぐいと東堂へ押し寄せてくる。
「他のヤツの感触なんかいらないっショ! オレだけで充分っショ」
 どうやら巻島は痴漢に特大のやきもちを焼いたらしい。東堂が誰かに触ったり触られたりすることが我慢できないのだ。
「ええっと、巻ちゃん? ホテルに行っちゃったら、オレ、ちゅうしちゃうよ?」
「すればいいっショ」
「それからいっぱい触っちゃうし」
「触ればいいっショ」
「イチャイチャして抱きしめて……その、巻ちゃんに入れて、合体なんかも……」
 ぎろっと巻島が睨んだ。さすがにこれは言い過ぎたか。枯れ枝を追った音がまた耳の奥に再現されて肝が冷えた。
「すればいいっショ」
「……は?」
「なんでもすればいいっショ!」
 巻島裕介は線が細かった。寂しげな身体つきと、幸薄そうな顔と緑の髪が特徴的な男だった。
 そう。
 どんな見た目でも男なのだ。
 あらゆる意味で、むしろトンチンカンな意味においても男の中の男だった。
 自分が女のように東堂を受け入れても容認するくらいに。
 災い転じて福と為なす。禍福は糾える縄の如し。棚から牡丹餅。勿怪の幸い。
 東堂の頭の中をぐるぐるそんな言葉が駆け巡る。ありがとう巻ちゃんの魅惑のヒップライン。ありがとうオレのイタズラ心。ありがとうおっさんを惑わすオレの美しい尻。ありがとう痴漢のおっさん、せいぜい養生しろよ。

 ホテルに向かう道すがら、東堂はポケットに入れたジャックランタンの棒キャンディーをご機嫌で握り締めていた。



                               終